有害鳥獣駆除と殺生

今月から、千葉県の許可と町役場からの委託により、ボランティアでイノシシやキョン(外来の小型鹿)の捕獲活動をすることになった。前任者が高齢で体がきついため、この地域の担当を引き継ぐことになったのだ。イノシシやキョンは房総地域で大繁殖しており、農作物を食い荒らすので「有害獣」として駆除するというわけだ。各自治体が補助金を出して、猟友会や狩猟免許を持った個人に駆除を委託している。捕獲→と殺→解体→処分のプロセスをへて、最終的には食肉となったり焼却されたりすることに変わりはない。要するに駆除とは減らすために殺すことなのだ。人間に対して悪さをするから殺す。誠に人間優位の考え方だといわざるを得ない。仏教の見地からすると、そもそも不殺生戒に反するのみならず、命に上下はないのに「有害」という人間側の一方的な評価を押し付けるものだ。人間より先に山に定住しているイノシシの側からすれば後から入ってきた人間の方こそよほど「有害」に違いない(キョンは外来生物である)。それでも有害鳥獣駆除を引き受けたのは、自然の命について真剣に考えるきっかけになると思ったからだ。

ところで、世の中には、菜食主義者でもないのに、動物愛護や子供の教育を理由に狩猟や有害鳥獣駆除を批判する人がいる。これは誠に矛盾した考え方といわざるを得ない。ハンバーグや刺身を食べるという行為は、だれかがどこかで動物や魚の命を奪うという行為がなければ成り立たない。少しでも殺生を減らしたいのなら自ら率先して食べることをやめるしかない。また、牛豚は最初からハンバーグの形をしている、魚は切り身のまま泳いでいる、と子供に教えたい人はいないだろう。人間は、自らの命をつなぐために、他の命を奪って生きていくしかない、生態系の一部なのである。この事実から目を背けることはできない。但し、食物連鎖の頂点にいる人間こそ謙虚でなければならないと思う。このことを自覚し、他の命に感謝して、謙虚に生きていくべきではないだろうか。

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