尋牛(十牛図その一)
古来、悟りに至る過程を段階的に表したものとして有名な「十牛図」がある。ここで何を牛にたとえているのかについて、「自分の心」とか「本当の自分」と解釈するのが一般的であり、そのため自分探しの旅を表しているという方もいる。私は、登場する牧童が表しているもの=「自我」、牛が表しているもの=もともと持ってはいるが自我意識のせいで見えなくなった「無我」の境地と解釈している。人が自我意識を超克して本来「無我」であるという真理に目覚めるまでの道筋を説いているとの視点で、十牛図全体の統一的解釈を試みたいと思う。なお、ここでは伝周文・筆、相国寺・蔵の十牛図を引用している。

第1段階 尋牛(じんぎゅう) 悩み苦しみの原因は何かを探し始める
なぜ人は悩みや苦しみに苛まれ続けるのか。お釈迦様の出家も修行も、同様にこの疑問から始まった。菩提心に目覚め、初めて発心して、悟りへの修行の第一歩を踏み出したが、まだ「自我」しかなく、本来「無我」である境地はまったく見えない、手探りの状態である。