仏教は宗教なのか

仏教は宗教といえるのか?
それは「仏教」と「宗教」の定義しだいである(当たり前だが)。

「宗教」とは多義的であるが、絶対的・超越的な存在(全宇宙や神など)への無条件の帰依(信仰や実践)によって心の安寧や救済に導かれるとする教え、と一般的には定義されるであろう。その場合の宗教の要素は、絶対性・超越性(神聖性)・物語性・救済性である。
ユダヤ教やキリスト教では、アダムとイヴが禁断の知恵の実を食べて楽園を追放された結果、その子孫である人間は時間を理解して死という苦しみを味わうこととなったが、 唯一神を無条件に信仰することによって神の国に生まれ変わる、と説く。
古代インドでは、 魂が輪廻転生を繰り返すことで永遠に続く苦しみから、宇宙(ブラフマン)と一体となる修行によって解脱することができる、と信じられてきた。

ところが、仏教はというと、釈尊自身の教えだけで八万四千の法門があるとされ、その伝播の過程で分かれた大乗仏教・小乗仏教・チベット仏教等の違いがあり、そのうち大乗仏教に限っても密教系・禅宗系・浄土系・日蓮系などまさに百家争鳴の状況にあって、「仏教」とは釈尊の教えとされるものの「伝聞」ないし「解釈」である、という以外には一口で定義できないほど様々の教説が林立している。

確かに、阿弥陀如来を唯一神とし、念仏という無条件の帰依(他力)を通じて、誰でも極楽浄土に生まれ変われるという物語をもつ浄土系仏教は、上記の要素を満たす「宗教」であるといえるであろう。その教義と実践の平易さから多数の信仰を獲得し、仏教がキリスト教・イスラム教とともに三大世界宗教と呼ばれるに至ったゆえんである。

しかし、このブログで扱う仏教は、釈尊自身が直接説いたとされる教えと、禅宗それも日本曹洞宗の創始者である道元禅師自身が語った教えのみに限られる。この原始仏教と禅に限っていえば、それらは決して「宗教」ではない。その教説に絶対性・超越性(神聖性)・物語性を持ち込まないどころか、これらとはむしろ真逆の要素(相対性・懐疑性・哲学性)を内包しているからである。

もっとも、絶対性・超越性(神聖性)・物語性を要素とする大多数の「宗教」とは方法論が違うだけで、原始仏教と禅も「心の安寧に導かれる」方法(救済性)を説いている点では共通である。すなわち、原始仏教と禅の教えは精神医学の処方箋であり、釈尊は精神医(心理療法士)なのだ。

次からは、ここでいう仏教の核心的教説について、私が理解・納得し得た限りの解釈を試みるが、あくまで私見であることはいうまでもない。

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