2 仏教とは何か(その2)

禅は宗教ではない

仏教は宗教といえるのか?

「宗教」とは多義的であるが、世俗を離れた不可侵の絶対的な存在(全宇宙や大自然、神など)への無条件の帰依(信仰や実践)によって心の安寧や救済に導かれるとする教え、と一般的には定義されるであろう。この場合の宗教の要素は、聖俗の峻別・聖の絶対性・無条件性・救済性・物語性である。
ユダヤ教やキリスト教では、アダムとイヴが禁断の知恵の実を食べて楽園を追放された結果、その子孫である人間は時間を理解して死という苦しみを味わうこととなったが、 唯一神を無条件に信仰することによって神の国に生まれ変わる、と説く。
古代インドのバラモン教では、 魂(アートマン)が輪廻転生を繰り返すことで永遠に続く苦しみから、修行によって宇宙(ブラフマン)と一体(梵我一如)となる境地に至れば解脱できる、と信じられてきた。

ところが、バラモン教から独立した仏教はというと、根本分裂により分かれた大乗仏教と小乗仏教はもとより、その伝播の過程で分かれたチベット大乗仏教・中国大乗仏教・日本仏教等の違いがあり、そのうち日本仏教に限っても密教系・禅宗系・浄土系・日蓮系などまさに百家争鳴の状況にあって、「仏教」とは釈尊の教えとされるものの「伝聞」ないし「解釈」である、という以外には一口で定義できないほど様々の教説が林立している。

例えば、大日如来を唯一神とし、呪文や曼荼羅などの神秘主義を通じて、宇宙と合一になることを目指す真言密教や、阿弥陀如来を唯一神とし、念仏という無条件の帰依(他力)を通じて、誰でも極楽浄土に生まれ変われるという物語をもつ浄土教は、上記の要素を満たす「宗教」であるといえるであろう。とくに浄土教は、その教義と実践の平易さから多数の信者を獲得し、仏教がキリスト教・イスラム教とともに三大世界宗教と呼ばれるに至ったゆえんである。

しかし、このブログで扱う「仏教」とは、釈尊自身が直接説いたとされる縁起の教えと、大乗仏教の理論的支柱であるナーガールジュナ(竜樹)の「空」の哲学と、達磨大師の西来に始まる禅の思想に限られる。縁起・空・禅の仏教に限っていえば、これらは決して「宗教」ではない。その教説に絶対性や物語性を持ち込まないどころか、これらとはむしろ真逆の要素(相対性・哲学性)を内包しているからである。

もっとも、絶対性や物語性を要素とする大多数の「宗教」とは方法論が違うだけで、縁起・空・禅の仏教も「心の安寧に導かれる」方法(救済性)を説いている点では共通である。すなわち、仏の教えは精神医学の処方箋であり、釈尊は精神医(心理療法士)といえるのだ。

次からは、ここでいう仏教の教説について、私が理解・納得し得た限りの解釈を試みるが、あくまで私見であることはいうまでもない。

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